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~ あれから20年 ~ 新潟県中越大震災

2004年10月23日に発生した新潟県中越大震災から間もなく20年になります。

この地震により、68人の方が亡くなり、4,805人の方が負傷し、3,175棟の住居が全壊するなど、新潟県を中心に大きな被害が生じ、避難者は多い時には10万人を超えました。。

過去の災害を振り返り、地震への備えを改めて確認していただくために、今回弊社社員に地震当日の事を思い出してもらいました。

*** あの日あなたはどこで何をしていましたか ***

池 田
当時アパートに住んでいて夕食前でした。1度目の揺れが収まってから、妻や他の住民と駐車場へ避難し、2度目3度目の揺れを経験。そのまま駐車場で一晩過ごしたのですが、市内が停電し真っ暗闇になり、やけに星がきれいだったことを覚えています。

富 井
以前の職場からの帰宅途中で、車の中でした。タイヤがパンクしたかと思うようなものすごい揺れで、大変驚きました。

阿 部
自宅2階でテレビを見ながら横になっていました。当時消防団に加入していたので、町内の1人暮らしの高齢者の所を回ったり、ライフラインが止まったため臨時の避難所を開設したりで、奔走していました。

村 山
妻と長岡市に買い物に出掛けており、帰る途中でした。小千谷から十日町の道路が寸断され小千谷市役所の駐車場で一泊。翌朝、長岡→柏崎→上越→安塚→津南→十日町の経路で、7時間掛けやっと自宅へたどり着きました。

齋 木
当時私は長岡市にある某損害保険会社勤務で、市内の借家で風邪を引いて休んでいました。最初の地震発生から約40分の間に、震度6強から弱の大きな揺れがたてつづけに3回もあり、もうこの世の終わりかと思いました。一人で家に居るのがとても怖かったので、何とか車で勤務先に行き富山県出身の新入社員と2人で車中泊しました。

丸 山
当時は結婚したばかりで、小千谷市のアパートに住んでいました。夕食にカレーを作っている最中に地震が発生し、棚から炊飯器が落ちて来てとても怖かったです。実家は7月の水害で被災しており、道路は寸断され夫の実家にも帰れず。1年で何度も命の危険を感じ、忘れられない年でした。

地震当日のことだけを思い出してもそれぞれに色んなドラマがありますね。
しかしその後、日常生活を取り戻すまでにはまた長い時間が掛かりました。
自然の脅威に人間の無力さを感じますが、それに負けず地道に復興していく人々の強さも実感しました。皆さんもあの日の事、思い出してみてください。

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承認番号:SJ21-09910 作成年月日 2021/11/17